東京都交響楽団の定期演奏会を聞きに行って来ました。
エリアフ・インバルの指揮、ソリストはチェロの宮田大。曲目はチャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲 イ長調とショスタコーヴィチの交響曲第4番 ハ短調という曲目でありました。(敬称略)

いい演奏会で、普段以上にお客さんも盛り上がりまして、楽員の皆さんが全員舞台袖に引っ込むまで拍手が鳴り止まないという、演奏家冥利に尽きるというか、そんな感じだったのではないかと思って見てました。私も学生の時はオーケストラの後ろの方で音出させてもらっていたりしなくもなかったものですから、あぁ、いいなぁ、充実感あるだろうなぁ、と。

で、ショスタコーヴィチです。
好きな作曲家なのですが、とにかく「何考えてるかわからない」と思うのですよね。聞いている時はかっこいいなぁ、と思って聞いているんですけどね。
お話しをしていて、こちらが真面目に何かを訊きだそうとすると、すッとはぐらかされる先生と話している感じなのですよ。談笑している最中に「ところで先生、先生のこのシンフォニー、第三楽章の202からの主題なんですが…。」とか言うと「あ、そろそろサッカーの試合始まるから行くわ。」とか言って急にいなくなる、みたいな感じですよ。

東西冷戦が続く時代に、ソビエト連邦の作曲家として生きたのですから、何でも言いたい放題というわけには行かなかったでしょうね。それがそのように感じてしまう理由なのかもしれません。この交響曲第4番もスターリンの粛清を恐れて、1936年に行われるはずだった初演は、25年後の1961年になっています。
作曲家がその作品が「革命的でない」という訳のわからない理由で粛清されるような時代に、作曲家として生きるということがどういうことなのか、というのは私には想像もつかないです。
没後に出版された「ショスタコーヴィチの証言」という回顧録があって、そこには反体制派としてのショスタコーヴィチが 描かれています。それによって西側諸国でも作品が評価され、演奏機会が増えることになったのですが、それも本の作者ヴォルコフによる捏造ではないかと言われるようになってきており、実際のところどうだったのかということを余計にわかりにくくしているようです。

でも、きっとショスタコーヴィチは幼少の頃から音楽の天才と呼ばれるような人でしたから「全部スコアに書いてあるじゃないか」、と思っているのかもしれないですね。
私みたいな凡人は、できることなら「先生、実際のところどうなんですかぁ?」って訊きたくなってしまうのですけど、それも叶いませんから、もうちょっとしっかりスコアを眺めてみることにしましょう。

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