書く方法


7 notesといっても音符とか音階とかの話ではないですが…。

iPad用のアプリで7notesというのがあるのですが、なかなかこれが良く出来ていて、画面上に文字を書いて行くと次々にそれを認識してくれて、漢字変換もフツーにやってくれるのです。

かなりキタナイ字で書き殴っても、どんどん認識してくれたりするのが快適です。これを使って書いていると、キーボードでローマ字を入力していくというのは、日本語の文字を書くのには随分ケッタイなことなのではないかという気もしてきます。何かを書こうとする時に、キーボードに向うというのはもう当たり前のような感じですが、インターフェイスとしてはあんまり良いものではないのかもしれんなぁ、てな気がしてきます。
何か書こう、と思った時に次にすることが、墨を擦るとか、ペンをインクに浸ける、みたいなことの方が自然なのではないかと、そんな気がするのですよね。一応ワタシも現代社会に生きているので、概ね中身が「なんとか原人」みたいなものだったとしても、利便性やら互換性といったようなものの恩恵に預ったり、合わせて行ったりというようなことはしなきゃならないワケですが…。

ワタシのシゴトというところで考えると、音楽を記録するときということになるのですが、それだと楽譜ですね。五線紙の上にちまちまとオタマジャクシを置いていく、というのが昔の作曲家の姿なワケです。
まあ、それとて、有史以来ずっと人間と音楽というものが切り離せないことであったという観点から考えると、ほんにこの数百年の有り様なのではあるのですが、エンピツやらペンやら使って玉と棒を旗を書いていく、というのが曲を作るということだったワケです。
ワタシも自分がコドモの頃には、バッハが楽譜の書きすぎで目が不自由になったのだ、などという話も信じていた(実際には緑内障の手術を質の悪い医者にされたのが理由で、ヘンデルも同じ医者に失明させられたというヒドイ話みたいですが)クチですから、ちまちまカリカリというのが作曲する人の姿だと思っていたのです。なので、今のようにコンピュータの画面ばかり見て曲を作っているというのは、やはりちょっとヘンな感じがしますな。

どちらが良いとか、あっちは間違っているとか言い出すつもりはないのですが、いろいろ出来る様になって選択肢が増えている、というのを使わないテは無いよな、とは思いますよ。

音楽の場合、譜面にするというのは音楽の組み立てを考える時に、全体像を把握するのにはすごく便利なものなので、やっぱりすこし面倒な気がしても、書いた方が良い結果を生むことが多いような印象があります。長く使われているものというのには、それなりのメリットがあるものですからね。
ただ、そのように音を組み立ててしまうと、どうしても西欧的なものに絡め取られてしまうような気もするので、自分が作りたい音楽のスタイルによって、手法を上手に使い分けるということも必要なのだとは思います。
試行錯誤の毎日ですから、そんなこともいろいろ試しては、あんまり実りなく過ぎていく、というそんな日々であるのです。

学校で使うテキストっていうか、授業内容の覚え書きのようなものも、どんな風に書くのかいろいろと迷った挙句、万年筆と写譜ペンを使って紙に書いたものをスキャンしてiPadに入れておいて、それを見ながら講義するという、ローテクなんだかハイテクなのだかよくわからんようなことになっています。何にせよ、いろいろやってみて、自分が一番飽きることなくしっくりくる方法を見つけるというのが肝要なのではないかと思いつつ、いまひとつ何の結論も出ない文章でありました。

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