カシオのデジタル時計

その時の気分で鬱陶しく感じたらつけないこともあるのですが、ちゃんと時間の管理ができる方ではないので、すぐに確認できるようにした方がいいかと思って最近は腕時計をつけています。特にこだわりもないので、ホームセンターでプラスチックのパックに入って売っているようなカシオのデジタル時計か、随分前に購入したセイコーの自動巻き時計です。

どちらも三千円もしないような時計です。そんなに正確でもありません。カシオのデジタル時計は月に1分ぐらい進みます。セイコーの自動巻の方は一日に10分ぐらい進みます。スマホ見れば正確な時間を表示してくれてますから、どうしても正確な時間が知りたい時にはそっちを見ればいいので特段不便には感じません。秒単位で生活しているわけでもないので、むしろそのぐらいの誤差がある方が自分には合っているような気がしています。

自分が中学生や高校生だった頃に使っていた腕時計もこんな感じのものでした。その頃は身近にすごく正確な時計なんて無くて、街中にある時計も多少進んでいたり遅れていたりするのは当たり前のことでした。自分の時計を正確に合わせたくて、117番に電話かけて時報と秒針が合うように苦心していたりしたものです。苦労して合わせても、すぐにズレてくるんですけどね。

携帯電話を誰でも持つようになってから以降、とても正確な時計を皆が持つようになりました。今は正確な時間を把握できていないという状況の方が珍しいですよね。

苦労して時報と自分の腕時計の秒針を合わせていた頃には、こんなことしなくてもいつも正確な時間がわかるようになればいいのにと思っていたのですが、実際にとても正確な時間がいつでもわかるようになってみると、それはそんなにいいものでもないですね。待ち合わせの時間に遅れた時に、「いやぁー、時計がちょっと遅れてて。」なんて言い訳はできなくなってしまいました。

今が何時何分なのかというのは、日々の暮らしにとっての物差しみたいなものですから、正確な物差しをみんなで共有できているということは便利なことのはずなんですけど、それが実現してみると自分自身が狭量になってしまっていることに気づいて驚きます。皆が正確な時間をわかっているのだから、待ち合わせの時間には絶対に遅れてはならないと思うようになってしまっているのですよね。こういうのって、どうなんでしょう?

正確な時間がわかるようになって、そのせいで数分の遅れにビクビクしたり、人が遅れたら腹が立ったりするくらいだったらもうちょっとざっくりした物差しをそれぞれに持つようにしてた方がいいですよね。
別にいいと思うんですよ、ちょっとぐらい。

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