気がつくと、もう一年くらい、わりと頻繁に着物を着て暮らしている。なぜそんなことになったのか、自分でもうまく説明できない。ただ、気持ちいいのだ。着ているだけで、なんだかちょっと違う世界にいるような気がして落ち着く。
今では学校に行くときも、ほぼ毎回着物姿だ。雨の日だけは洋服に戻すことにしたのだけれど、昨年九月以来、奇妙なことに一度も雨が降らなかった。おかげで学生たちの間では私はもう、「いつでも着物を着ている、変なおっさん」ということになっているだろう。まあ、それはそれで悪くない。

着物を着始めた当初、いちばんの懸念はトイレだった。私は基本的に「催したらすぐに行きたい」派だから、そこをどうするかは死活問題だと思っていた。ネットを探しても、和装トイレ事情を真剣に解説してくれている記事なんて、ほとんどない。YouTubeで実況している人もいない。考えてみれば当然だ。そんなもの見たくもないし、撮るほうも嫌だろう。だから結局、自分で実験するしかなかった。

いくつかの失敗を重ね、私はついに一つのフォームを手に入れた。
個室に入る。長着と長襦袢をガッと尻絡げして座る。下着は越中褌にしておく。前垂れを後ろから引っ張り上げると、布が邪魔にならない。袖口さえ気をつければ、洋服のときとほぼ同じ感覚で事が済む。
これを確立して以来、和装のトイレ問題は私にとって存在しなくなった。あとは流すだけ、である。

越中褌は、思った以上に快適だった。ゴムで締めつけない。風が通る。晒を用意しておけば、三十分で二枚くらい縫える。今ではTシャツとジーンズの下にも褌をつけている。たぶん、今後はずっとこのままだろう。

人に和服の話をするとき、どんな生地か、どんな帯か、という話題ではなく、まず「下の話」から入ってしまうのが私らしいといえば私らしい。だが、装いとは下から積み上がるものだ。ここが決まらなければ、次の一歩には進めない。

こうして「シモの問題」が片づいてしまうと、あとはただ楽しむだけだ。着物を着て歩くと、自分の所作も変わってくる。裾が風に揺れ、布が体を包みながらわずかに重く揺れる。そのリズムに合わせて、自分の中の何かも、ちょっと変わっていく気がする。そうして今日も、私は「変なおっさん」として、着物を着て学校に向かうのである。

いつまでも暑くて衣替えのタイミングが分からず10月ですが単衣の着物

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